活動報告
「中央アジア視察3 ウクライナ編」メルマガ56号 2005年11月20日
みなさん こんにちは!吉良州司です。今日は中央アジア視察の第3回目の報告、ウクライナ編です。
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スタシェフスキー第一副首相との記念撮影 (左から3人目が第一副首相。一番右が筆者吉良州司) |
11月6日(日)早朝にイスタンブールを出発。イスタンブールからキエフへの 航空路は黒海の西岸に沿って飛んでいますので、飛行機の中からブルガリア、 ルーマニアの黒海沿岸部を見ることができました。見渡す限りの平原で、大き な農地が広がっていました。「ここでブルガリア・ヨーグルトを造っているの か!」「これはすごい!農業にはもってこいの土地柄だなあ!」などと考えて いたら、あっという間に(実際は約2時間)ウクライナの首都キエフに到着し ました。
私は商社時代、共産主義・社会主義諸国にはほとんど出張したことがありま せんでしたので、ウクライナは勿論、(空港での乗換えを除く)ロシアや他 のCIS諸国は初めての訪問になります。1991年にソ連が崩壊して、そしてウ クライナが独立して早や15年、市場経済化の陽の効果と陰の効果に一喜一憂 しながらも確実に自由と民主主義が根付きつつあると聞くウクライナの首都 キエフの空港に降り立ちました。
ウクライナは人口約4800万人、国土面積は60万平方km(日本の約1.6倍)で、 その大半は黒土に被われた肥沃な平野地帯で、「欧州の穀倉地帯」と呼ば れている農業国です。民族的にはウクライナ人が73%、ロシア人22%、その 他5%で、主な宗教はウクライナ正教です。
歴史的には、紀元前6世紀頃、イラン系騎馬民族スキタイの国家が栄えた (その栄華の痕跡を博物館に陳列された金の装飾品で垣間見ることができま した)ことで有名ですが、現在のウクライナの原型は北欧からやってきた ヴァイキングのリューリュックの一族がキエフに打ち立てた「キエフ公国」 です。キエフ公国は13世紀にモンゴル軍によって崩壊し(しかし、現在の モスクワ地域に後退することで、現在のロシアの原型になった)その後は リトアニア大公国、ポーランド大公国の支配下に入り、更に17世紀には 実質的にロシアの支配下に置かれました。ロシア革命後、1919年にウクラ イナ社会主義共和国が成立、1922年にはソ連邦の構成共和国となりました。 そして、上述しましたように、1991年のソ連崩壊によりウクライナ共和国 として独立を果たし現在に至っています。
経済的にはまだまだ発展途上にあり、一人当たりのGDPは970米ドルしかあ りません。農業が中心ですが、旧ソ連時代には連邦の分業体制の中で、 鉄鋼、造船、宇宙航空機産業等の軍需産業生産を担っていましたので、 今でも鉄鋼業、宇宙航空産業は主力産業です。
さて、今回の衆議院外務委員会視察団の大きな目的のひとつが、ウクライナ の現在の大統領であるユーシチェンコが中道・右派グループである「我々の ウクライナ」を中心に率いて成就させた、いわゆる「オレンジ革命」の経過 と現状の視察です。前政権やロシアまでもが露骨に選挙干渉する中での大統 領選挙(ロシアとの関係を重視するヤヌーコヴィッチ前首相と西側を志向す るユーシチェンコ元首相の事実上の一騎打ち)の不正を糾弾し、大統領決戦 投票をやり直しさせ、ついにはユーシチェンコ元首相が当選しました。
この一連の抗議運動では国民がオレンジ色のシンボルカラーを身につけて 運動に参加し、血を流さず、実質的には民主的な国民運動によって政権交代 を実現させたことから「オレンジ革命」と呼ばれています。
今回の公式訪問は、タラシューク外務大臣、スタシェフスキー第一副首相、 オスタシュ国会外務副委員長の3人の政権指導者との面談でしたが、オレン ジ革命を成し遂げた自信と情熱に満ち溢れており、「2015年までにEUへの 加盟を果たす」という目標に向かって特に経済的自立、発展の為の環境整 備に力を入れているようでした。
一連の会談の中で象徴的だったのは、ウクライナが日本を同志扱いしている ということです。日本は広島、長崎の原爆被爆国、そしてウクライナはチェ ルノブイリ原発事故の被曝国だという共通性によるものです。日本も同じ 被爆国として、同原発事故の後、多大な医療支援、人道支援を行ってきま した。そのことに対してウクライナから何回も感謝の弁が述べられました。
そして、ウクライナが世界に誇るべきことはソ連時代の核兵器を全面撤廃 したことです。この毅然とした国家意思とその実行力に対して敬意を表し たいと思います。
面白かったのは、首相府に向かっていたところ、その日は共産党の革命記 念日ということで、赤い旗をもった大勢のデモ行進に遭遇したことです。 通訳の話ですと、みなさん「ユーシチェンコの野郎!クソくらえ!」と叫ん でいるとのことでした。首相府に入ろうとするとデモの人達が首相府を取り 囲み、外から果物の「オレンジ」を中に投げ込んでいるのです。そのオレン ジの投石ならぬ投柑の中をかいくぐって首相府に入りました。
あと、特筆すべきは、やはり外交は現実直視の中のバランス感覚が要求され るということが、改めて確認できたことです。ユーシチェンコ大統領は「ロ シアではなく、西側を向くんだ!」といって大統領になった政治家で、先述 のように「EU加盟」「西側重視」の基本姿勢は変わらないものの、エネル ギーの大半をロシアに依存し、ロシア系国民を始め、ロシア志向の強い国 民の意向も意識してか、政権樹立後は真っ先にロシアを訪問し、「ロシア は永遠の戦略的パートナー」と持ち上げ、プーチン・ロシア大統領がウク ライナを訪問した際に「プーチン・ユーシチェンコ委員会」を発足させて ロシアとの関係改善・強化を図るなど、なかなかしたたかでした。
現在、国営製鉄所の民営化が進行中、また近々、国営電話会社が民営化さ れるなど、経済の自由化、より進んだ市場経済化が推進されるとおもいま すが、今後、投資法制・税制の整備が進む中で、潜在力の極めて高い国で すから、是非、日本からも投資をしてもらいたいと思っています。
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共産党記念日に反ユーシチェンコのデモ行進に遭遇。参加者たちは口々に「ユーシチェンコのクソくらえ!」と叫び、首相府にオレンジ革命の象徴である「オレンジ」を投げ込んでいた。吉良も危うくオレンジ投柑をかいくぐりながら首相府へ。 |
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投柑をくぐり抜け、首相府からデモ隊を写す。平家の軍勢のように赤い旗を掲げたデモ隊が、首相府の向こう側の丘にもたくさんいる。 |
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首相府前でデモ行進の様子を取材するマスコミ関係者 |
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ソ連時代もこうであったろうと思われる重厚な警備隊 |
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スタシェフスキー第一副首相との会談の様子(首相府にて) |
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ウクライナ外務省にて、タラシューク外相との会談 (左から2番目が筆者吉良州司) |
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タラシューク外相との会談後、同外相と固い握手 |
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自由を求めユーシチェンコを
支持する人々10万人が集ったといわれる独立広場。ここからオレンジ革命が始まり、また成就した。そのモニュメントの前で。 |
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独立広場全景 |
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ウクライナ正教寺院の前で。寺院の階段では、 結婚式を楽しむ人々が・・・。 |
(以上、次回に続く)
−吉良州司−










