活動報告

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2004年1月29日 「国会図書館へ行きました」

こんにちは、吉良州司です。
当選してから早や2ヶ月が経ちましたが、国会議事堂の隣にある国会図書館を初めて利用してきました。
会図書館とは、国会法130条の「議員の調査研究に資する」ため国会図書館法に基づいて昭和23年に設立されました。国会議員の職務遂行の助けとなっていると同時に、国民の誰もが利用できる図書館でもあります。現在は、約800万冊の書籍・雑誌等が所蔵され、議会、安全保障、外交、農林など国政全般にわたる調査局を備える大きな組織です。
内部には、議員閲覧室や議員研究室などがあり、国会開設当時からの国会議員の著書や各新聞(地方紙を含めてほぼ創刊当時のものから)も揃っています。
本日の来館の目的とは外れますが、フッと思い出し、29年前の大分合同新聞を調べてみました。そこには、思い出深い出来事が記述されていました。少し長くなりますが、その記事を紹介いたします。

昭和50年(1975年)10月21日火曜日 「無事でよかった・・・」
十九日、大分市の霊山に遠足の下見に行った大分舞鶴高校の男子生徒三人が一昼夜たっても帰宅せず、「遭難したのではないか」と大分署などから捜索隊が出動するなど一時は大騒ぎになったが、二十日昼過ぎ三人が無事下山して関係者をホッとさせた。
三人は同校三年生で大分市東萩原四組、利光隆一君(一八)と同市新春日一組、磯崎陽輔君(一八)、同市金池南一丁目、吉良州司君(一七)。二年生当時、生徒会役員をしていた友達という。
三人の話では十九日午前九時、昼食と副食のチョコレートなどを持ち、登山ぐつなどハイキング装備で大分市の明磧橋をスタート、西寒多神社を経て赤仁田地区に向かった。赤仁田地区には正午ごろ到着、障子岳に向かった。しかし、途中で道がわからなくなり、赤仁田へ引き返した。午後三時ごろ再び障子岳を目指して登ったが、山頂近くでまた道がわからなくなり、宇曽神社近くの山中をさまよったが、次第に暗くなったため、同神社の北側斜面と思われる場所で野営。ヤッケを着込み、新聞紙やビニールで寒さを防ぐ一方、付近の草を刈ってかぶった。しかし、眠っても深夜から寒さで数回、目が覚めるなどしたという。
二十日午前六時に起き、残っていたチョコレートなどで朝食、七時ごろ、ふもとを目指して下山開始、谷川に沿って下り午後零時十五分すぎ、びしょぬれになって同市塚野上原、農業渡辺常雄さん(七二)らが稲刈りをしていた田んぼにたどり着いた。カヤやイバラでかすり傷を負ってはいるが元気。
この遭難騒ぎで大分署などから警察官三十人をはじめ木ノ上、判田地区消防団、大分舞鶴高校の教諭など計七、八十人が出たが、捜索開始直前に三人が下山したため捜索活動には至らなかった。
三人は渡辺さん方で休んだ後、それぞれ自宅に帰ったが、「高校時代の思い出になる遠足にしようと考えて下見に行った。野営は怖くなかったが、報道で騒がれることが心配だった」「二十日の中間テストは受けなくてすんだ」などちゃめっ気たっぷり。秋の山中で一晩過ごしたとは思えないほどで、遭難騒ぎは幕。
「遠足の下見に行って大分市内の山で遭難」とは、今読むと、何とものどかで間の抜けた情景に映るかもしれません。しかし、その時の私を含めた三人は、「舞鶴高校最後の遠足のために、前人未到の遠足ルートを切り開こう」という気概に燃え、がむしゃらに突き進んでいたのです。
そして、今、志に向かってがむしゃらに突き進んでいる自分と照らし合わせてみると、「あんまり変わってねェなァ」と苦笑いさせられました。
時にはちゃめっ気も忘れず、がむしゃらに政治に打ち込んで行こうと決意を新たにした次第です。
活動報告が、横道にそれてしまいましたが、国会図書館は今後調査・研究などに大いに活用させていただきます!

−吉良州司−

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