政策・政策論
政治信条
吉良が考えてきたこと
国会発言録
全表示 2011年 2010年 2009年 2008年 2007年 2006年 2005年 2004年 2003年
メールマガジン

125「ベトナムで感じたこと」  2009年04月06日


みなさん こんにちは
吉良州司です。

 

今日からは3月7日から13日まで東南アジア3国を訪問した際に感じた
こと、考えたことなどをお伝えしたいと思っています。
今回の視察は私的視察ということで渡航費用や宿泊代などは全て私費
となり、経済的には大きな出費でしたが、得られた収穫は何ものにも
変えがたい貴重なものとなりました。

今日のメルマガは最初に訪問したベトナムについての見聞録第1弾です。

今回、岡田克也、前原誠司両元代表と同期同僚の長安豊衆議院議員は
3月8日夜にベトナム・ハノイ入りしましたが、私だけは、その前日の
3月7日夜にホーチミン空港に降り立ち、7日夜と8日の昼間はホーチミン
で過ごしました(8日夜にハノイに移動し、訪問団と合流)。

一日早やめたその理由です。私が22年間勤めていた日商岩井
(現「双日」)は歴史的にベトナムに強く、多くの元同僚社員が
ベトナムと深い関わりを持っています。私が日商岩井電力プロジェクト
部勤務時代、私が若手有望社員として期待していた浅野君と、
同じ部で私をアシスタントとして支えてくれていた容姿端麗、
人柄も抜群の女性とが職場結婚していたのですが、たまたま
この夫妻がホーチミンに駐在していたのです。元禄時代とちがって
仲のよい吉良と浅野の関係です。因みに、電力プロジェクト時代には、
同じ課に大石さんという女性と(「江戸城・松の廊下での刃傷」
で有名ですが)松野という後輩社員もいましたから、いつでも忠臣蔵が
演じられる環境でした(笑)。
更には、元日商岩井社長秘書で、その後ホーチミン事務所長を務めて
おられた先輩社員も、また、私が人事部時代に採用して仲のよかった
社員も同市に駐在していたので、久しぶりの再会を楽しみ、同時に
ベトナム事情をじっくりと聴かせてもらいました。
ベトナム事情、特にベトナム戦争の後遺症ともいえる北ベトナムと
南ベトナム間の南北問題については、公刊されている書物などには
中々書かれていないので、現地事情に詳しい人ならではの多くの
大変参考になる話を聴かせてもらいました。
その内容についてはまた別の機会にお伝えしたいと思いますが、
本日は見て感じたことを中心にお伝えします。

3日間のベトナム滞在の中で、私がもっとも驚いたことは、
「二輪車の洪水」でした。
道路という道路から、蟻の巣から蟻が群がり出てくるように、
ホンダやヤマハに乗った人達が湧きだしてくるのです。
もっと驚いたのは、二人乗りは当たり前で、夫婦と子供二人の4人が
二輪車に乗っている光景を数多く見かけたことです。


日本では家族4人で自家用車に乗っている感覚です。また、大きなテレビを
後ろの荷台にくくりつけていたり、米袋や肥料の袋を4つも5つも
積んで走っているのです。肥料袋などは後ろの荷台に3袋積み上げ、
自分の膝の上(ハンドルと自分の間)に2袋積んだまま平気で走って
いるのです。まあ、凄まじい生命力だと思いました。

 

また、今回は住友商事が手がけるハノイの工業団地を訪問し、
そこに進出している日系企業の中でも最も大規模に経営している
キャノン工場を視察しました。

 

ベトナム・キャノンはハノイ郊外に3つの工場を持ち、2万4千人の

ベトナム人を雇用しています。
ほぼ全量が輸出だということで、今回の世界的経済後退の影響を
もろに受け始めているようでしたが、視察したプリンター工場で
働く約1万人のベトナム人たちはみなさん、きびきびと働いていました。
最近の日本では1工場で1万人も働いているなど中々ありませんので、
1箇所で何千人も働いている光景には圧倒されました。

工場では「かいぜん(改善)」や(平賀源内の)「からくり」などが
工場内の標準語になっており、効率を追求するための社内運動が
徹底されています。その結果として、ベトナムの従業員が考案した
「からくり」の装置が実際に採用されて職場で稼動していました。
この「からくり」のことを説明してくれたのは、日本にも研修に行った
という若いベトナム人の課長さんで、将来が嘱望されています。
彼をはじめ、やる気や能力のある人は、自分達の意見やアイデアが
どんどん採用されていくわけですから楽しくて仕方ない様子でした。
(寂しい限りですが、最近の日本では滅多に見ることのできない)
底抜けに明るい、自分には将来の夢がある、と顔に書いている、
素晴らしい笑顔、表情を久しぶりに見ることができました。

日本企業のすごい、そして素晴らしいところは、やはりこのような
社内研修・教育といった人材育成に対するこだわり、その具体的方法が
ずばぬけていて、その結果、社員全体が目的意識を共有し、勤勉に
働く文化を創り上げていることだとあらためて思いました。

また、ホーチミンでは、日機装株式会社のベトナム工場を視察しました。
一般の人にはあまり知られていないかもしれませんが、同社の
医療カンパニー(医療部門)は人工透析装置などの血液透析用システム・
機器、血液回路、透析用剤などの消耗品などを製造している会社で、
ホーチミン工場では、この人工透析関連血液回路などを製造しています。
この工場で働くベトナム人の几帳面さ、まじめさにも感心しましたが、
一番心を打ったのは日機装から現地に出向している日本人社長(工場長)
の次のような話でした。


「人工透析が必要な人達が日本に27万人います。医療費削減が続く中で、
人工透析にかけられるコストは年々削られる方向にあります。
私達日機装がそのコスト削減要求に応えて安くていいものを供給し続けて
いかなければ27万人の命を守ることができません。私達はどんなことが
あっても、この使命、責任を果たしていきます」と。

恥ずかしながら、日本の人工透析はこのような日本人やベトナム人の
努力があってこそ成り立っていることを、私もはじめて知った次第です。
遠く異国の地にあって、日本の腎臓疾患患者の命を守るためにあらゆる
経営努力を惜しまないと頑張っている日本人経営者の心意気、志に
心打たれました。

さて、みなさんは「チャイナ・プラス・ワン」という言葉を
ご存知でしょうか?この言葉は元々、2003年中国広東省を起点として
大流行の兆しを見せ始めたSARS(重症急性呼吸器症候群)騒動を契機に
日本において考えられ始めた戦略のことです(中国の製造拠点としての
活力を利用しつつ、日中関係の悪化、人民元上昇、エネルギー摩擦、
外資優遇税制の廃止、等等)。一方で、中国一国に集中するリスクを分散
するために、東南アジア、南アジアなど中国以外の国に拠点を確保する
経営戦略のことを言います。
ベトナムは人口8600万人を擁する人口大国で、しかも平均年齢が28歳
(念のために確認しますが)と非常に若い国で、対日感情も非常にいいので、
チャイナ・プラス・ワン戦略には最適の拠点かもしれないとあらためて
確信した訪問、視察でした。

 


ページトップ

前へ戻る
民主党民主党大分県 総支部連合会大分県大分市 Copyright&copy 吉良州司 All Rights Reserved.