No.021 169回国会「衆議院 内閣委員会 5号」 2008年03月28日
③平成20年3月28日 内閣委員会 ○吉良委員 民主党の吉良州司でございます。 犯給法の質問をさせていただきます。 まず最初に、同僚の市村議員からもございましたけれども、やはりこの犯給法にかかわる、法の背景にある哲学についてお伺いしたいというふうに思っています。 その前に、この改正案について私自身は、犯罪被害者の救済を厚くする、特に、何の罪もない被害者の救済を厚くするという意味において意義深い法改正だというふうには思っております。 特に、けさほど来指摘がございますように、昨今ほど安全というもの、治安の回復というものが国民に望まれている時代はないんだろう。人を殺してみたかったとか、もうこれまでであれば信じられないような事件が多発する中で、国として、国の一番大事な使命は国民の生命財産、特に生命を守ることなんだということを、これでもかこれでもかというぐらいメッセージを発していかなければいけない時期なんだ、このように思っております。 そのことをまず申し上げた上で、先ほど来の質問と重複しますけれども、再度、この犯給法、改正というよりも、そもそも昭和五十五年に元祖犯給法ができたとき、平成十三年に改正案ができ、それから十六年には基本法、そして翌年に基本計画ができた、その時々の、背景はもう結構です、ここにいる委員も政府の方にももう釈迦に説法になりますので。その時々に政府として考えてきた考え方とそれから哲学について、ちょっと披露していただければと思っております。
○泉国務大臣 この法律、犯給法に流れております考え方というのは、先ほども少し御説明をさせていただきましたけれども、本来、加害者が損害を賠償すべきところだけれども、その能力がない、資力がない、実効的な損害賠償が得られない、あるいは労災制度などの公的な給付制度でもカバーできない、さらに、加害者の処遇改善が図られておる一方で被害者に対する救済制度は不十分である、こういうことの実態を踏まえて、社会の連帯共助の精神に基づいて、国が給付金を支給し被害者等の被害の軽減を図る、これが一貫してこの法律の基本に流れてきたものだと思っておるところでございます。
○吉良委員 先日、私どもの同僚の長島昭久議員が岸田国務大臣に対して、地下鉄サリン事件、オウムの事件に対する問題を取り上げ、そしてそのときに、やはりこの犯給法の哲学について再考を求める質問をしております。 私も少し勉強させてもらったんですけれども、特にドイツは、明らかに、国が国民の安全を守れなかった、ある意味ではその責任を痛感しての補償制度である。 これは、先ほど市村議員も触れたことでありますけれども、今、泉大臣が答弁された連帯共助の精神、本来ならば加害者が損害賠償すべきである、ただ、加害者にその責任能力がない場合を考慮しての連帯共助の精神に基づいてできたものだ、こういうことなんですけれども、私は、先ほども申し上げましたけれども、昨今の犯罪というのは極めて広範多岐にわたっている、同じ一つの哲学でとらえ切れない犯罪領域になってきているのではないかと。 先ほど言いました同僚の長島議員が指摘したのは、前回のオウム・サリン事件というのは、ある意味では国家に対する明確な意図を持った挑戦である、そして、その犠牲者はまさに国家の盾となって犠牲になられた方である、ある意味では民間人として殉職された方だというふうに私自身はとらえることができると思っているんです。そういう意味で、今大臣がおっしゃった、本来加害者が賠償責任を持つということ以上に、国家に対する挑戦、その犠牲になった方に対しての考え方、哲学というのは別のものがあっていいと思っているんです。 それに加えて、土浦の事件、それから岡山の事件もそうですけれども、個人的ないさかいがもとでの犯罪ではなくて、さっき言った、まさに不特定多数また無差別、ある意味ではオウム・サリン事件と変わらないような不特定多数、無差別の事案であるというふうに思っています。そういう事案に対しては、少し考え方、哲学を変えていかなければいけない、その新しい哲学に基づいた補償制度があってしかるべきだというふうに思っておるんですが、泉大臣、所見はいかがでしょうか。
○泉国務大臣 委員からドイツの例を出されました。米国の九・一一のテロによる被害者やイギリスのロンドン同時爆弾テロ被害者に対して、通常の犯罪被害者とは違う枠組みによって救済がなされたということは承知をいたしております。恐らく、それぞれの国の事情によって異なる対応をされたのだろうというふうに思っておるわけであります。 先生おっしゃるように、サリン事件、非常に広範な関係者が出たというようなものに対して、それでは、今回お願いしております犯給法の先ほど御説明申し上げました考え方で全部一くくりにできるのかという御指摘については、確かに考えなきゃならない点が残っておるかもしれません。 ただ、例えばテロだといったときに、テロとは何かというようなこと、あるいは一般の犯罪被害者などよりも手厚く経済的支援をしなければならないというような理論的な根拠、そうした事柄が議論になって、三つの検討会でも議論をなされて今回の法改正をお願いするという道筋があったわけでございます。 検討会では、今申し上げましたことから、一般の犯罪被害者等とは別の特別の救済策をとることをあらかじめ包括的に決めておくことは困難であるという検討会の結論をいただいて、法律改正を今回お願いしておるところでございます。 また一方、最終の取りまとめでは、国家または社会に対するテロ行為により無差別大量の死傷者が生じた場合には、国は、迅速に、当該テロ事件に対する国の対処方針を決定し、その中で、被害者等に対する早期支援の実施をうたっておるわけであります。被害者等の経済的救済を図る措置を明確に示すべきである、こういうふうにいただいておるわけでございまして、これは大変幅広い範囲の問題を含んでおりますので、警察単独でというよりも、今後、政府全体として検討しなければならない課題であるというふうに認識をいたしております。
○吉良委員 私は、冒頭申し上げましたように、この法律の改正案そのものについては、今まで薄かったのをさらに厚くするという意味で、反対するものではございません。そこのところは了としておるものでありまして、今、泉大臣まさにお答えいただいたように、今後、政府の中できちっと、ある意味ではそういう場合分けをする中で、背景にある哲学を変えて、それに対する支援のあり方を変えていくことをもっと前向き、積極的に検討いただきたいという意味で申し上げておるんです。 といいますのは、経済的支援に関する検討会の中の委員であります白井弁護士がいろいろな論点を提言されており、それも読ませていただきました。その中、まさに論点一の中で、犯罪被害者等は国から補償を受ける権利を有するか、こういうことに対して、当然権利を有するというふうに意見されておるわけですが、その理由というのは、まさに犯罪被害者等基本法三条一項では、「すべて犯罪被害者等は、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する。」とうたわれており、この権利は個人の尊厳を保障する憲法第十三条に基づくものであり、最大限尊重されなければならない、犯罪被害に遭った方が救済されるのは、この個人の尊厳を取り戻すための実質的に唯一の手段であるからだ、こういう理由、論点でもって国から補償を受ける権利を有する、こういうふうになっているんです。 これはすべての犯罪被害者に適用される考え方ではございますけれども、先ほど言いましたドイツあたり、国家に対して、また社会に対してきばをむき出しにして向かってきた犯罪者、その盾となって亡くなられた、または障害を受けられた方に対して、やはりある意味で厚くする意思があることを国が表明するということは、先ほど言った、国が法秩序、社会秩序を維持して、国民の生命を守ることを最も重視しているんだということを国民にやはり発する必要があるんだろうと。 先ほど来言っています、本来は加害者が救済するものじゃないですか、国の知ったことじゃないですよ、だけれども加害者はそんな資力がないんだから、では国がかわって何らか手を差し伸べてあげますよというようなものではないんじゃないかと。やはり、国に税金を納め、警察官が存在するということは、その安全を守ってもらうということを期待してのことなわけですね。 ただ、こんなことを言っていいかわかりませんけれども、これだけの人口がいる中で犯罪を全くゼロにする、それはしなければならないと思っていますけれども、やはり現実問題として起こる。それをすべて、では責任、警察が悪かったということになるかといえば、それはまた行き過ぎだというふうにも思っています。 ただ、結果責任として、それを防ぎ得なかったことに対しての国としての補償を被害者にしていくという哲学は必要なんじゃないかというふうに思いますが、再度、泉大臣の御見解を。
○泉国務大臣 大変難しい投げかけであると思います。 先生の御意見、私も理解できないわけではございません。国が守り切れなかった、国民の命を守り切れなかった、そのことによって国が償いをするという考え方は、確かに一つの考え方だと思います。これは今後の検討課題にさせていただきたいと思いますし、先ほど申し上げましたように、当然、警察だけで考えるべきものでもないと思います。幅広い関係者の協力を得た中で、今後の検討課題として心にとどめさせていただきたいと思います。
○吉良委員 今後の検討課題とはいいながら、検討いただけるということで、ありがたい答弁だと思っています。 この問題をちょっと別の観点から切ってみたいと思うんですが、殉職警察官の扱いについてであります。 愛知県の長久手町で、SAT隊員であった林一歩警部が殉職をされました。また、ドラマにもなりました、先ほどもありましたが、板橋区の東武東上線の踏切で女性を救助してみずからが犠牲になられた宮本邦彦警部、こういう殉職警官がおられるわけなんですが、特に、SAT隊員の林警部等、古くは浅間山荘事件で犠牲になられた、殉職をされた警官に対して、警察として相応の厚い救済といいますか処遇をされているんだと思いますけれども、勇敢に犯人に向かっていって殉職をされた警官、それから不意をつかれて殉職された警官、恐らくは内部で扱いが違うんだろうというふうに思っています。 そのことについて、そういう警察の内部で、殉職された警官のその時々の状況に応じて対応が違うのかどうか、その辺についてちょっとお聞かせいただきたいと思います。
○米村政府参考人 お答えをいたします。 ただいま挙げられました長久手の事件での殉職をしたSAT隊員でありますけれども、SAT隊員としてというよりも、およそ警察官として、警察官になりたいという形で入ってきた青年でありまして、最も望ましい警察官の一人ではないかなというふうに私は実感としております。そういう警察官を亡くしたということは断腸の思いでございます。 殉職事案というのはいろいろなケースがあるわけでございますが、要は、極めて高度な危険にさらされながら、なおかつみずからの生命を顧みず向かって対応した者が殉職をしたというケースにつきましては、いわゆる特殊公務災害という形で、それとはまた違った形のものよりは格段に厚い手当てをしているというところでございます。
○吉良委員 ありがとうございます。 アメリカは、私もいましたけれども、七月四日の独立記念日、これは各町々で独立記念日のパレードが行われます、御存じの方も多いと思いますけれども。そこで行進してくる順番というのは、消防士、警察官、それからその後に市長とか出てくるわけですけれども、命を賭して社会のために闘っている人たちを最も尊敬するというか、たたえるという土壌があるわけですね。だからこそ、今言った警察官であり消防士がまず先頭を歩いて、市長よりも先に歩く、こういう文化があるわけです。先ほど出ましたけれども、アメリカの愛国法とかにつきましても、やはりそういうことが背景にあって法ができている、短期にできて厚い救済内容になっているというふうに思っておるんです。 私は、それこそ浅間山荘事件のときも含めて、やはり相手が銃を明らかに持って、しかも悪意を持って、国家に対して、社会に対して刃向かう意思を持っていることがわかりながら、それに向かっていく、また、ましてやそれで命を落とされる、そして障害を受けられるという方々に対して、それをある意味でたたえ、そして国民みんなでその残された家族等を守っていくというのは当然のことなんだというふうに思っているんですね。 逆に言えば、国立市の富士見台であった、それこそストーカーまがいのことをして、市民を守るべき銃で相手の女性を殺害し、みずからも自殺する、こういうふうなことはあってもいけないし、また、そういうことが起こったときの罰については、これは甘いことがあってはいけない。 だから、ある意味で、警察の内部でも賞罰について、さっき言いましたSAT隊員のような方々についてはみんなで称揚し、警察の信頼を失墜させるような人に対してはもっともっと、またその監督責任も含めて厳しくあるべきだというふうに思っているんです。私自身は、きょうは時間が限られておりますので多くは申しませんけれども、今言った、めり張りをつけた、殉職警官を含めた警察内部の賞罰についても、また議論させていただきたいと思っています。 先ほど政府委員の答弁にもあったように、まさに警察官としてこうあってほしいという警察官の本当に涙ぐましい殉職であったということでありますが、やはりその扱いが違う。でも、私は扱いが違って当然だと思っているんです。そういう意味で、それを今度、国全体に当てはめたときに、犯罪の種類によって、犠牲者のあり方によって対応をたがえてもいい、もっと厚くする部分、もっと国としての責任を前面に出す部分があってもいい、このように思っているところであります。 同じ答弁になるのでありましょうけれども、再度、今の殉職警察官の話等も踏まえて、ちょっと大臣の御見解を承りたいと思います。
○泉国務大臣 殉職警察官に対する温かいお言葉をいただきまして、ありがとうございます。 列車の踏切で身を投げて命を落とされた宮本警察官、そうした本当に国民の心を揺すぶるような警察官、まさに警察官の使命をわきまえた立派な行いをした警察官に対して、私どもは、お話しのように称揚していかなきゃならないと思っております。また一方、市民を守るために与えられた銃を使って許されない行為をした警察官に対しては、厳しい処罰をしていく、これは当然だというふうに思っております。 私自身、その信賞必罰を明確にしていくことは警察官に対する国民の信頼感を取り戻す、あるいは一層高いものにしていくという思いを持っておりましたので、今先生の御指摘のことについては一層留意してまいりたいと思います。 そういう事柄の中で、先ほど来先生の、国家の責任というものをどう位置づけるかという大変高い問題を指摘されております。 私自身は、まず、犯罪を起こさないように、また犯罪を起こした者は当然のこととして処罰を受けるという前提があって、そのことが心ない者の心のブレーキになるような、そういうものでなければならない。その上で、なおもし、先ほど来委員から御指摘をいただいておりますような体制をとることがやはりこれからの社会において必要だと、お話がございましたけれども、ドイツでもアメリカでもイギリスでもそうした対応が社会の仕組みの中でとられておるという事実を参考にしながら、検討ではおしかりを受けるかと思いますが、これから一つの大きなテーマとして考えてまいりたいと思います。
○吉良委員 私は、きょうはこの問題だけを取り上げようと思っておりましたので、しつこいぐらいでありますが、冒頭言いましたように、本当に今こそ国が、警察が、安全をもう一回取り戻して、国民の生命財産、特に生命を守ることが一番大事なんだというメッセージを届けることが大事だというふうに思っているんです。 この給付制度、言いましたように、ベースはとにかく賛成でありますが、労災との公平性だとか、それから自賠責との公平性だとかそういうことで算出しましたとか、そういうレベルの話ではないということを申し上げたいんです。要は、不公平感があったとしても、今こそ、国として皆さんを守りますよというメッセージを、また、何かあったときには国として責任を持ちますよというメッセージを発するに必要な時期はないのではないかというふうに思っているということを申し上げたいと思います。 最後になりますが、先ほど、殉職警官のところで一点、逆のことを、国立の事件のことを申し上げました。参考までで質問ということにはならないんですけれども、一つ申し上げたいことがあって、それは九・一一のテロのときの話であります。 私は、二〇〇一年八月二十七、二十八日にニューヨークにおりまして、そのとき貿易センタービルはありましたが、その後、ブラジルに飛びました。帰りの航空券は、二〇〇一年九月十三日にニューヨークに戻るという予定の切符だったんですけれども、あの事件が起こりましたので、飛行機も飛ばず、しばらくブラジルに滞在しました。その際、時差がほとんどないですから、リアルタイムで朝、テロの映像を見ておったんですが、そのとき、ブラジルのインターネットで流れた、犯人がだれだというテロップといいますか、それはだれが犯人だというふうに第一報として流れたか、御存じですか。まあ、想像つかないと思うんですが、実は日本赤軍でありました。ジャパニーズ・レッド・アーミーというのが流れました。 私は、本当に顔面蒼白といいますか、これで日本は滅びたと思いました。もうアメリカで日本人がビジネスすることもできぬだろうと。アメリカをある意味で敵に回してこの先日本は生きていけるんだろうかと、本当に血が引く思いをしたことを覚えております。 先ほど、一方では犯人に対して勇敢に立ち向かっていく人たちを国、社会全体でたたえると同時に、一人でもあのような警察官が出れば信頼を失墜する、まさにジャパニーズ・レッド・アーミーであります。そういう意味でも、警察においてだれ一人そういうことを出すことのない体制を築いていただきますことをお願いしまして、ちょっと法案審議とは離れるんですけれどもお願いをしまして、私の質問を終わります。 ありがとうございました。
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